母とアフタヌーンティ☆
母とは、ハイティにでも行ってみようかな?と思って、シンガポールから予約をしておき、
リッツのアフタヌーンティ(←過去記事です)に行って来ました
e0097139_15515265.jpg
以前来たときには無かったのですが、こんな風に茶葉のお見本が在り、香りを確かめてからお茶をオーダー出来る様になっていました。母は、ルイボスティ、私は、ビューティフルハーブを
どちらも、以前気に入って購入したお茶。w

e0097139_15524824.jpg
窓側のテーブルを用意しておいて下さり、皇居の緑を見下ろしながら・・・お天気は良かったのですが、お天気が良くなるとガスっぽくなるそうで、こんな感じで曇ってみえる。と言うことでした。

e0097139_1634682.jpg
このリッツカールトンは、東京で一番高いビルになるそうで、「サンシャイン60よりも高いんですか?」と聞くと、『階数は、サンシャインの方が多いですが、リッツは各フロアの天井を高くしているので、その分45階でも、高い』そう。
ちなみに、関東で一番高いビルは、横浜のランドマークなんですって。


お茶はもちろん、サンドウィッチもスィーツも母娘みずいらずでのんびり楽しめてとても美味しかった
e0097139_1663782.jpge0097139_16123083.jpg









                   ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


到着した次の日の朝。

顔を洗って、自分の部屋でお化粧をしていると、
母が「おねえちゃん(私のこと)、ちょっと良い?」と入ってきて・・・
「うん。いいよ」と答えるや否や、
いきなり、床に座り込み、
「〇〇(私の名前)、ごめんね。ごめんね。」と号泣

「え?!ど、どうしたの?\(◎o◎)/!」と驚くと共に、不安でいっぱいになり、

「本当にゴメンネ、ごめんね、ママ、ママ・・・」と号泣

「え?何?何がゴメンネなの?大丈夫だから、言ってみて」と言っても、

「言えないのよ~」と号泣・・・

私も母と一緒に床に座り、母の両手を握り、背中をさすり、「大丈夫だから」と、

何が大丈夫なのか?私自身も、何ごとなんだろう!?と不安で胸がいっぱいながらも、

そう言い続けて・・・

「ママね、ママね、おねえちゃん(私のこと)の・・・」と言っては、また号泣する母。

「お願い、どうしたのか、話してみて」と、なんとかなだめて、

やっと話し出す母。。

「ママね、ママね、おねえちゃんにもらった、ゴールドのチョーカーを失くしちゃったのよ」と号泣。。

「え?!」

「おねえちゃんが、何度も三越の宝飾店に足を運んで、「ママにプレゼント」ってくれた、あの大切な
ゴールドのチョーカーを失くしちゃったの」と、父が心配して部屋まで来るくらい大声で号泣。。

「なーんだ。それなら、また買えば良いじゃない。また買ってあげるよ」と言うと、

「そういうんじゃないのよ。パパにも、そんなこと(私に)言ったら、(私のことだから)「また買ってあげるよ」って言うに決まってるし、また買って。って、催促してるみたいだからよせ。って言われたんだけど、そんなんじゃないのよ。あれは、(私の)真心がいっぱい詰まった、ママの宝物だったんだから。世界にふたつと無い、ママの宝物だったんだから」と号泣。。

「これだけは、信じて欲しいんだけど、決して大事にしていなかったわけじゃないのよ。大切に大切にしていて・・・それなのに、それなのに。。」と号泣。。

母の話によると、昨年11月8日に、お友達に誘われて、歌舞伎座に歌舞伎を観に行くことになって、
歌舞伎を観に行くのなら、お洒落して行かないとね。と思い、私があげたゴールドのチョーカーを
ドレスアップの最後の仕上げにして・・・お友達との待ち合わせ場所に向かう間も、バスの窓ガラスに
映ったチョーカーを観ては、(私からの)プレゼント、とても素敵だわ。と誇らしく思いながら、
お友達と待ち合わせ場所で会い、その後も、お食事をしながら、日比谷公園を散歩しながらも、
チョーカーが(在ると思っていた)在る首周りを手で確かめては、誇らしく嬉しく思っていたんだって。

それが・・・・・

歌舞伎の途中で、あれ?と不安に思い、首周りを確かめると、そこに在るはずのチョーカーが無く、
頭が真っ白になりつつ、周りの方に出来るだけ失礼になら無い様に、劇場の外に出て、
チョーカーを探しまくり、歌舞伎座のフロアと言うフロアはもちろん、おトイレや玄関などなど、
歌舞伎が終るまで探し続け・・・
終ってからも、一緒に行ったお友達に断って、ご飯を食べたレストラン、日比谷公園、と
通ってきたところ、道、全て、這う様にして探して・・・

でも、お友達が、
『コートを着ていたせいかもしれないけど、私と会った時には、チョーカー見えなかったよ』
と言うので、もしかしたらお友達に会う前に既に無くなっていたのに、気がついていなかった
のかも・・・チョーカーだと思っていたのは、その日に来ていたタートルセーターの縫い目
だったのかもしれないの・・・

家までの道と言う道、歩道や草むらも暗くなるまで探し続けて・・・
もちろん、警察、乗ったバスと電車の会社にも届けて、
次の日も、朝明るくなると共に、着替えて外を探しまくり・・・
父に、玄関前の下水のコンクリートの蓋まで開けさせて探したそう・・・

父にはもちろん、仲の良いお友達にも、このことを相談し・・・と言うか、毎日毎日泣きながら、
同じ話を繰り返し、皆も、何となぐさめたら良いのか?わからなくなるくらい、だったみたいで、
このことを私に話したら、きっと「失くしちゃったんだ」と寂しい思いをするに違いない。と
思うと、絶対に話せない。内緒に出来るものなら、ずっと内緒にしておきたい。と
思いながら、それでも毎日探し続けていたそうで・・・
父も、「もう仕方が無いじゃないか。」と、流石に毎日その話を聞かされて、号泣されて、
ほとほと困っていたみたい。

学生時代からの親友にもメールやお手紙で何度も相談して・・・
『正直に、〇〇ちゃん(私)に、話してみては?きっとわかってくれるはず』と
言われても、
そんな(私を)がっかりさせてしまう様なこと、絶対に、出来ない。って、また号泣だったそう。。

「ママ、ずっと電話しないで、メールばかりだったでしょ?きっと電話をして、(私の)声を
聞いたら、泣いてしまうと思って・・・メールだったら泣きながら打っても、わからないから、
ずっとメールにしていたの」

そういえば、以前なら、「どうしてるの?元気?」って、そろそろ電話をしようかな?と
思っていたのに、母から電話がかかって来ていたのに、最近は、ずっとメールだった・・・

電話よりも安いし、メールを簡単に打てる様になったからなのかな?と思っていたけど、
そんなことがあったとは・・・

日本に帰る2~3日前、「アフタヌーンティに一緒に行こうね。ちょっとお洒落をして行こう♪」
と母に電話をしたのだけど、なんとなく、乗り気じゃない?と言う雰囲気だったので、
主人に、「やっぱり、ママとかは、お寿司とか天ぷらとかの方が良いのかなぁ?
どう思う?」と相談してみたら・・・「ん~でもさ、寿司とか天ぷらって、食べたら終わりじゃん、
カウンターで、1時間も2時間も座っていらんないでしょ?昼なんて、せいぜい30分くらいで
食べないとって感じなんじゃないの?だったら、たまには、アフタヌーンティとかで
ゆっくりした方が良いと思うよ」と言うので、「そうよね♪」と、思っていたの。

と、このことを母に話すと
「ううん。とっても嬉しかったのよ。だけど・・・おねえちゃんが、お洒落して行こうね。って
言うから・・・きっとあのチョーカーをしないで、他のをしていったら、
気に入ってなかったのかな。と寂しい思いをさせてしまうだろうし、
かといって、何もしないで、あのチョーカーをしたら?と言われてしまったら・・・
と考えると、悲しくて悲しくて、自分を責めても責めても気が済まなくて・・・」

と言うことだったのだそう。。


母は、私がそのチョーカーをプレゼントをしたときのことを、
「今でもとても嬉しくて、あの日のことは良く覚えているの」と言って、話し出し・・・

母は、私を19歳で産み、やはり若かった父とそれはそれは大切に育ててくれて、
自分の楽しみよりも私たち(子供)のこと、自分のものよりも私たちのもの。
と、私が知りうる限り、私が実家で暮していた33歳までずーっと、
夜遊びをしたこともなければ、夜外出することもなかったし、
「一体、何が(母の)楽しみなの?」と聞いたこともあるほど。
そんな質問をしても、母は、
「ママの楽しみは、あなたたちよ」って。
そんな母だったから、
いつもは時間や礼儀など、とても厳しい母だったけど、
時には、親友、または姉の様に、友達とのことや、恋愛のことなど
何でも話せて、そして、相談に乗ってる母がとても楽しそうだったので、
社会に出てからも、夕食のときに、その日に在ったことを話すことが、
私にとっても(母を喜ばせてる)と思えて、楽しいひとときだったり。。



そして、私は自分のお給料で自分が欲しいものを買い、行きたいところへ行き、
自由奔放に人生を楽しんでいて・・・
だけど母は?と思ったら、初給料やボーナスのときに、
「おこずかい」って誇らしげにあげても、自分の為に使っている様子もないので、
だったら、何か素敵なものをプレゼントしちゃおう♪
と思って・・・
そして、毎日、会社帰りに三越の宝飾コーナーに行っては、
「どれが良いかな~?」って選んでいたの。
相談に乗ってくれていた、当時の母と同い年くらい(40代)の女性の店員さんは、
『こんなにお母様のことを思って下さる娘さんがいる(私の)お母様がとても羨ましいです』
って言ってくれて。。

そんなことも、母に話していたんだった私。

そして、やっと「これ」と決めたものは、そのときの夏のボーナス目一杯分♪

私自身も、「私も、母にプレゼントが出来るくらいになったんだわ~」って誇らしかった。

帰り道、こんな高価なものを持って帰るのは不安!って思って、バスに乗る前に、
母に「迎えに来て」って電話をして・・・
迎えに来てくれた母に、「はい。これ、プレゼント」って渡したのだった。。

母は、とてもびっくりして、喜んで・・・そして、包装を解いて、ベルベットの大きな楕円形の
箱を見て、またびっくりし・・・その蓋を開けて、絶句をして・・・
とにかく、驚いていて、「あれ?嬉しくなかったかな?」とちょっと思ってしまったほど。



あれから・・・20年近く。
私が知る限りでも、
弟の結婚式、そのとき習っていたカラオケの発表会の舞台で・・・と、
数えるほどしか、そのチョーカーをやっていなかったので、
「たまに、私にも貸してね」なんて言ったりしてた。

だけど、本当に大切にしていたんだって。。

あのチョーカーを見るといつでも、あの日の私の誇らしげな顔、そして
喜ぶ母を見て、本当に嬉しそうにしていた私の顔を思い出していたんだって。
そんな私の真心を「ママは失くしてしまったのよ」って、また号泣。。

「そんなに大切にしてくれていたなんて。。それを判っただけで、私はとても嬉しいから」

「もう、あれだけじゃなくって、もっといっぱい色んなもの買ってあげてれば良かったね!!」

「もっと良いものを買ってあげるから」

と本心を母に伝えて、元気づけたつもりが、

「違うの。あれと同じものは、2つとないの。例え全く同じものが在ったとしても、
あのおねえちゃんがくれたものとは、違うの」とまた泣かせてしまって・・・

「失くしてしまったけど、あのチョーカーは、死ぬまで・・・死んでも、ママのここに
いつでも在るからね」と、自分の首をさすりながら何度も言う母。。

私も涙が止まらなかった。

大切にしてくれていたのは、知っていたけど・・・
それほど大切にしてくれていたなんて。知らなかった。

あの時に戻れない。
取り戻せない。
かけがえのない。

とても切なくて・・・

母をそんなに悲しませてしまったなんて。。

同じものを母にプレゼントしてあげれない今の自分もとても切なかった。。



と、シンガポールに戻って、主人に話したら・・・

「形あるものは壊れるし、無くなってしまうもんだよ。また買ってあげればいいじゃん。
だいたい、そんな心のこもったプレゼントを1つしかしていない、(私が)悪いよ!!
俺なんて、ひとつもしていないから、親孝行だな」だって。w

今年の年末&年始には、私の両親がまたシンガポールに遊びに来る事になっているので、

「年末に、(私の両親が)来たときに、オリエンタルspaとか連れていってあげたり、
何かプレゼントしてあげれば良いじゃん」って。

そうよね。
そのときには、もっともっといーっぱい喜ばせてあげよう。
母だけでなく、今度は、父にもね!!(^_-)-☆
[PR]
by orchidgirl | 2009-06-19 17:48 | ☆一時帰国2009年6月


<< 2009年6月一時帰国のまとめ☆ Orchid from Haw... >>